成田裏道歩き
門前町成田のもうひとつのまち歩き
[Narita Alley Walking]


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《石仏やお地蔵様を巡る北コースの説明》
North course over the Jizo(Buddha) description
歩程約3km
about 3km
walking distance
歩行時間約2時間
about 2hour
walking time

 ※ゆっくりペースで見学等を含みますが個人差がありますので時間等には余裕をお持ちください!

お墓や境内は神聖な場所です。「お参りさせていただく」という気持ちで行きましょう!























白髪毛庵






⑱⑲成田山公園





































































平和大塔裏
成田山奥の院裏
外周路
















































奥山広場



































㉓㉖出世稲荷
 ↓





































塚之越庵










西参道
三の宮埴生神社
























三竹山神社

















江戸時代旧道
西参道













































成田小学校
細道




































表参道薬師堂



















































表参道薬師堂







































表参道薬師堂




































成田小学校坂下
JR踏切そば




































水守不動通り























お不動様
旧跡公園















































線路脇細道





















なかよし
トンネル





























ろくろくさま






































































新新道通り

JR成田駅



























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マップ⑱⑲成田山公園・戦争遺構




成田山公園の 一画に戦争遺構が並んでいる場所がある。
ひとつは 台座の上に 高浜虚子の句碑 「凄かりし 月の団蔵 七代目」 がのっている建造物ちょっと 台座と 上の石碑が アンバランスである。かつては 7代目団十郎と六代目団蔵の銅像がこの台座の上にあったのです。昭和18年 第二次世界大戦の最中に銅像が供出され なくなってしまったのです。 そのため 八代目の団蔵が 代わりにこの句碑を建立しました。

もうひとつは、「横須賀泉勝講」の創立90周年の記念銘鈑

ここに平成75月 「衆議院議員 小泉純一郎」 の名前が刻んであります

 日露戦争の勝利を成田山に祈願し 同志を募って講をおこしたのが縁起です。
初代講元の銅像は、元総理大臣小泉純一郎さんの御先祖です。

身近な所に 忘れてはならない 戦争の傷跡が残されています。忘れてはならない これから先も 日本のつらい戦争時代があったこと・・


成田山本堂裏の奉納銘板




番外ですが・・・本堂裏の奉納銘鈑に

 「橋 幸夫」 さん ご両親やご兄弟のお名前がいっぱいです

 「浜 木綿子」 さん 文字が大きいので目立ちますね!      探してみませんか!?

マップ成田山奥の院裏外周路



          お大師様             平和の大塔裏外周路の「成田道の道標」

マップ⑳愉快なのぞき小僧・石仏

光明堂近くより、外周路にでると、いろいろな奉納碑や石仏が並んでいます。




「のぞき小僧」をみたら、奥山広場~聖天堂~出世稲荷へ向かいましょう!


聖天堂(釈迦堂隣りの建物)

 成田山の秘仏のひとつになっている大聖歓喜天を安置しています。

 子授けの神として信仰されており、子供がほしい人や願いが叶った人が、「二股大根」を描いた絵 馬を奉納する風習があります。

  かわいい大根 見てみませんか!?

マップ㉓㉖出世稲荷・道標



出世稲荷の階段片側の石積みの中に、「昭和17年大関名寄岩の手形」が刻まれた奉納碑があります。   階段途中の石積み最上部角です。探してみませんか!?


出世稲荷の周りにも、お大師様や成田道道標があります。

マップ塚の越庵・六地蔵



西参道→三の宮埴生神社・お大師様・石仏



マップ⑫三竹山神社・道標・お大師様・江戸時代旧道





西参道黒田材木店を入った小道は、江戸時代の旧道です。 六体のお大師様が並んでいます。

枝ぶりが見事な萱カヤの古木の下に、「北向きのどうろくじん」と呼ばれる三竹山道祖神の祠ホコラがあります。

道祖神の祠の右側に、「奉唱十五夜講中同行十八人」と刻んだ、元文41739)年十月の十五夜塔が立っていて、これは、道標を兼ねています。正面「此方なりたみち」 右側面「此方なめがわみち」 左側面「此方竜ヶ崎・安食道」と刻んでいます。



旧道を成田中学校方面は、なめかわ道と呼ばれた道です。さらに、進んでいくと土屋の庚申様があります。祠の前は一対のおさるの石像が見守っています。

西参道・道標→成田小学校内・細道


西参道三の宮道の土屋中央通りの三差路近くに道標が立っている。石自体は新しいが、明治15年一月の道標を復元したもので、正面に「成田不動尊」、右側面に「北へ下る滑川・佐原 西へ下る安食・木下道」、
左側面に「南へ上る酒々井・佐倉 東へ下る成田門前をへて三里塚・芝山道」とある。



嶋田商店せきは、今も、子供たちをはじめ、大人の人にも、大人気!
成田小学校そばの車が通らない路地にあり、軒先が低く、カラフルな駄菓子がいっぱい。
子供の目線、子供の手の届く位置だったり、上にブラブラぶら下がっていたり、ゴチャゴチャ沢山 楽しさがいっぱい・・ 夢いっぱい・・

店の壁に、せきのイラストが貼ってありました。そこには、こんなことが書かれています。

『嶋田商店せきは、成田小学校のすぐそばにある駄菓子屋です

学校から帰ってきた子どもたちの憩いの場でもあり 友達との集合場所になることもあります みんなのあつまる理由は せきのおっちゃんおばちゃんが優しく まごころがあるから さあ あなたもきてみませんか まごころ教室へ』

今は成人して、デザイン画の仕事をしている卒業生からプレゼントされたそうです。 

あったかいですね。   心がほっかほかになります(^-^)

マップ⑥表参道薬師堂・石仏

←成田道路元標石柱

薬師堂は、佐倉方面から(さくら道)の道と、佐原方面から(仲之町大坂・かしま道)の道と、印西方面から(あじき道)の道の、三つの成田街道が合流する地点で、今も昔も交通の要衝の場所です。 薬師堂前バス停そばに、「成田町道路元標ゲンピョウと刻んだ石柱があります。大正81919)年11月の千葉県告示によって建てられました。成田から各地への距離を計測する時の起点になっています。




薬師堂は、現存する成田山の建物で最も古い!

歴代本堂の古い順は、薬師堂1655(明暦元)年建立→光明堂1701(元禄14)年建立→釈迦堂1858(安政5)年建立→現在の本堂1968(昭和42)年建立

通称「日蔭の薬師」という。元は成田小裏の日当たりの悪い所にあった。名残りが、「古葉(薬と葉をまちがえたらしい!?)師踏切」の踏切があります。

水戸黄門光圀や子授けを祈願した初代市川団十郎が参拝したのが、この薬師堂が本堂であった時代です。

安政2(1855)年、ここに移築されています。


※狛犬がかわいい!手作りの前掛けが、季節で変わります。時々、のぞいてみませんか!?

※石灯篭 1819(文政2)年建立  屋根の部分に、その頃の成田山の寺紋(卍型)と輪宝が浮き彫りされています。現在は菊に葉牡丹です。

トピックス: 成田山 仁王門前石橋欄干の「1849年建立 寺紋と輪宝」



総門前の通りは、葉牡丹の寺紋と輪宝の石塀が続き、漁船の名前が多く刻まれています。

真言宗開祖の弘法太師さまも、船で中国へ渡る時荒れ狂う海から、お不動様に救われました。

漁船や貨物船は、「成田山護摩札」をかかげ、無事の航海を祈ります。

大本堂総門を越え、仁王門前の最初の階段を上ると、石橋があります。赤文字の「北新川・南新川」の欄干に「166年前の卍型成田山寺紋と輪宝」が浮き彫りされています。

欄干裏側に、江戸時代後期「1849(嘉永2)年建立 船持中」と刻まれていました。

現在、東京都中央区新川(江戸時代は、霊岸(巌)島だった場所)の事でしょうか?!江戸時代から昭和初期まで、隅田川と合流する運河であった新川は、材木や酒樽を運ぶ水運の中心地区として江戸の経済を支えた場所です。

成田山境内を歩くと、長い長い歴史に、人々の篤い信仰と願いが感じられますね。


成田山 清滝権現堂の菊紋



光明堂の右側建物が、享保171732)年に再建された清滝権現堂です。

菊紋は、成田山の寺紋のひとつで、江戸時代の建物の多くにこの紋が使われていましたが、明治2年(1869)に使用が禁止されたため、削り落したり、塗りつぶしたりしました。

そこで、昭和62年の保存修理の時に、菊紋を復元しました。

 正面カエル股や内部の格天井には十六の菊紋がつけられています。

←現在の寺紋 「菊の葉と葉牡丹」

マップ⑪成田小学校坂下JR踏切そば・石仏

○成田小学校下踏切: お大師様2体 三界供養塔

三界とは、仏教の世界観で、私達が生まれて死にいたるまでの世界で、欲界(食欲・性欲・物欲)、色界(物質の世界)、無色界(心の世界)の三つの世界。

三界万霊供養塔は、「命ある全ての存在を供養するための石塔」で、これは有志建立の供養塔です。

○ そばの踏切は、「古葉(薬と間違えたらしい!?)師踏切」。現在の薬師堂が今に移る前にあった場所から、名がつきました。

日暮歯科前: お大師様3体  庚申塔 供養塔など



マップ⑨水守不動通り細道・お大師様



マップ⑦お不動様旧跡公園



                             ↑羊羹資料館の「おみくじ羊羹」が楽しい!」



羊羹資料館入口のポストの脇の看板 「はがきの語源」となった木があります。

水守不動通り
ここを通り抜け、細道を歩いていこう・・迷路になっていて楽しい!

線路脇細道→なかよしトンネル


細道を通り抜け、階段を下り、線路脇の道へ行こう
視界が開け気持ちがいい!


命ある全ての存在の供養と、安全を願ってでしょうか!?三界供養塔」があります。

以前、ここには、トンネルがなく、ニュータウン方面に抜ける大きな踏切がありました

新町 ろくろくさま 福城稲荷の森



R成田駅ホームの成田空港側から、「ろくろくさま・福城稲荷」の看板と森が見えます。

明治30年に鉄道が敷かれ 成田駅が完成しました。

それまでは 権現山(駅周辺)は、成田山の境外地で、大きな木が生える鎮守の森でした。

鉄道施設工事で分断されてしまいましたが、ろくろくさま 福城稲荷も、その山の一画だったのでしょう。

 この稲荷神社の創建は成田山より古いと言われ、かつては、佐倉なりたみち(成田街道)からの参拝客は、まずこの神社を参詣し 成田山を参拝したそうです。
 毎月6月6日に大祭があります。信者はもちろん、成田駅職員も参列し無事故を祈ります。

看板脇の階段を上がり、社務所脇の細道を抜けていきます。

急階段を上ると・・・


頂上は 木々に囲まれた こじんまりした山の頂上です。

ろくろくさま 福城稲荷の社です。 五穀豊穣 商売繁盛の神様です。

      鳥居をくぐり お賽銭を入れ 二拝二拍一拝・・・

 お稲荷さんは、朱色の鳥居と白いきつねがシンボルです。キツネは稲荷神の使いです。

次は、隣の神社です。



神社の裏手を廻ると 宝玉と狐2匹が向かい合う板碑がありました。

成田山は真言密教のお寺です。 

真言密教における「荼尼天ダキニテン(インドの女神)」に 稲荷神を習合させ 真言宗が全国に布教されるとともに 稲荷信仰が広まったそうです。

徳川家康が 天下統一を果たすために 力を借りた神が 荼尼天でありました。夜叉として恐れられていましたが 大日如来の霊力に心腹し 善神になりました。

江戸時代、 稲荷信仰は 大衆の人気を集めるようになりました。

五穀の神 農業の神 商売繁盛の神 芝居芸能の神 開運出世の神 ・・・

稲荷神は 人を選ばないと言われていて 誰でも 願望成就させると 信じられています。

花崎町新新道通り→JR成田駅へ